「たすき掛け遺言」(たすきがけゆいごん)とは?【弁護士解説】 子どものいない夫婦こそ遺言が必要 ―「たすき掛け遺言」という選択肢―
1.「夫婦二人だけだから、相続でもめることはないと思う。」
相続のご相談を受けていると、そのようなお話をよく伺います。
国立社会保障・人口問題研究所が実施した「第16回出生動向基本調査(2021年)」によると、結婚してから15年〜19年が経過した夫婦のうち、子どもの数が0人である割合は7.7%(過去最高)でした。
また、厚生労働省の「2024年 国民生活基礎調査」によると、「単身世帯(34.6%)」のみが最も多く、次いで「夫婦のみの世帯」の割合は24.7%となり「夫婦と未婚の子のみの世帯(24.1%)」を初めて上回りました。 かつて標準的とされた「夫婦と子供」という世帯よりも、いまや「夫婦のみ」の世帯のほうが一般的になりつつあるのが日本の現状です。
参照元:国立社会保障・人口問題研究所
「第16回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)」 厚生労働省「2024年(令和6年)国民生活基礎調査の概要」
確かに、子どもがいるご家庭に比べると、相続人の人数は少なくなります。しかし実際には、子どものいないご夫婦の相続こそ、遺言が重要になるケースが少なくありません。なぜなら、夫婦のどちらかが亡くなったとき、相続人になるのは配偶者だけではないからです。今回は、子どものいないご夫婦やおひとりさまにとって重要な「たすき掛け遺言」または、交差型遺言と呼ばれる遺言について解説します。
2.実際によくある相談事例として、次のようなケースがあります。
夫Aさんと妻Bさんは結婚して30年。子どもはいません。
夫婦で協力して住宅ローンを返済し、自宅や預貯金を築いてきました。
Aさんは、「自分が亡くなったら、財産は全て妻に残したい」と考えていましたが、遺言は作成していませんでした。
その後、Aさんが亡くなりました。
そして、BさんとAさんの両親は既に亡くなっていたため、Aさんの兄弟であるCさんが相続人になりました。
結果として、Bさんは夫の兄弟であるCさんと遺産分割協議を行わなければならなくなりました。
兄弟姉妹との関係が良好であれば問題ありません。しかし、長年交流がない場合や、兄弟姉妹自身が亡くなって甥や姪が相続人になっている場合には、連絡を取るだけでも大変な労力を要します。「夫は全部私に残すつもりだったはずなのに」と感じても、遺言がなければ故人の意思を法的に実現することは容易ではありません。

3.子どものいない夫婦の相続で起こること
民法では、配偶者は常に相続人になります。もっとも、配偶者だけが相続人になるわけではありません。被相続人に子どもがいない場合には、まず直系尊属(父母など)が相続人となり、直系尊属もいないときは兄弟姉妹が相続人になります(民法889条)。
「夫婦で築いた財産だから当然に全部配偶者のものになる」は限らないのです。
特に、自宅不動産や預貯金の名義が亡くなった配偶者に集中している場合、遺産分割がまとまらなければ、残された配偶者の生活に大きな影響が生じることもあります。
4.実は重要な「兄弟姉妹には遺留分がない」というルール
ここで重要なのが、兄弟姉妹には遺留分が認められていないという点です。そのため、「全財産を妻に相続させる」という遺言を作成しておけば、兄弟姉妹がその内容に異議を述べることは基本的にできません。
「遺留分」とは、一定の相続人に法律上保障された最低限の取り分のことです(民法1042条)。子どもや配偶者には遺留分がありますが、兄弟姉妹にはありません。
「全財産を妻に相続させる」という遺言を作成しておけば、兄弟姉妹がその内容に異議を述べることは基本的にできません。これは子どものいない夫婦にとって非常に大きなメリットです。この点、兄弟姉妹がその内容に異議がなくとも、遺産分間協議において、兄弟姉妹に書類に押印してもらったり、印鑑登録証明書が必要であったりと、兄弟姉妹にも手続きの負担がかかります。上記のような遺言を作成しておけば、兄弟姉妹の手間も減らすことができます。
5.たすき掛け遺言とは
そこで有効になるのが「たすき掛け遺言」です。たすき掛け遺言とは、夫婦がお互いに遺言を作成し、「自分が死亡した場合は、全財産を配偶者に相続させる」と定めておく方法です。例えば、夫が「全財産を妻に相続させる」、妻が「全財産を夫に相続させる」という内容の遺言をそれぞれ作成しておく方法です(後記基本書式参照)。どちらが先に亡くなっても、残された配偶者が安心して生活できるようにすることができます。
6.たすき掛け遺言のメリットと限界
第一に、相続手続がスムーズになります。遺産分割協議が不要となるため、不動産の名義変更や預貯金の解約手続も進めやすくなります。
第二に、残された配偶者の生活を守ることができます。特に高齢のご夫婦の場合、住み慣れた自宅に住み続けられるかどうかは極めて重要な問題です。
第三に、親族間の紛争を予防できます。相続紛争の多くは、財産額の多寡ではなく、「故人の意思が分からないこと」によって生じます。遺言は、その意思を明確に示す最も有効な手段の一つです。
もっとも、たすき掛け遺言だけで全ての問題が解決するわけではありません。これは、いわゆる「一次相続(最初に亡くなった配偶者の相続)」と「二次相続(その後の相続)」の問題として整理することができます。例えば、夫が亡くなって全財産を妻が相続し、その後に妻が亡くなった場合を考えてみましょう。
妻がその後に遺言を作成しなければ、最終的には妻側の親族が財産を取得する可能性があります。夫としては、「自分の実家にも少し残したい」「お世話になった人に財産を渡したい」「寄付をしたい」と考えていたとしても、その希望は実現されません。
場合によっては、予備的遺言などもあわせて検討すべきです。
7.予備的遺言とは
予備的遺言(予備的遺贈・予備的相続させる遺言)とは、遺言で指定した相手が相続開始時に死亡していた場合などに備えて、次に財産を取得する人をあらかじめ定めておくものです。
上記のように、夫が亡くなって全財産を妻が相続し、その後に妻が亡くなった場合、その後に発生する妻の相続のときの財産をどうするか決めておけるのです。つまり、夫から相続した財産も、どのように相続・遺贈させるかをあらかじめ定めておくことができます。このように予備的遺言をしておけば、二次相続の際に、先にご逝去された配偶者の意思も反映することができます。
「たすき掛け遺言」の基本書式
第1条 遺言者は、遺言者の全財産(不動産、預貯金等のすべての金融資産、現金及び家財道具等を含む動産その他の財産)を妻A(生年月日)に相続させる。
第2条 遺言者は、前記Aが遺言者の死亡以前に死亡したときは、第1条により同人に相続させるとした全財産を、遺言者の弟B(生年月日、本籍)に相続させる。
第3条 遺言者は、この遺言の遺言執行者として、●●を指定する。
8.専門家の役割
遺言は、自筆で作成することも可能です。しかし、方式を誤れば無効となるおそれがあります。また、相続人の調査や財産の把握が不十分なまま作成すると、本来期待していた効果を得られないこともあります。
特に子どものいないご夫婦やおひとりさまの場合、誰に財産を残したいのか、最終的に財産をどのように承継させたいのか、寄付や第三者承継を検討しているかによって、最適な遺言の内容は大きく異なります。特に、子どものいないご夫婦の場合には、公正証書遺言によって確実に意思を残しておくことをおすすめします。公正証書遺言であれば、方式違反による無効のリスクが低く、相続開始後もスムーズに手続を進めることができます。また、円滑な手続のため、遺言執行者を指定しておくことも重要です。
当事務所では、公証人との調整や必要書類の収集を含め、ご家族の状況やご希望を丁寧にお伺いした上で、公正証書遺言の作成支援から将来を見据えた相続対策までサポートしております。遺言は、亡くなった後のためだけに作るものではありません。残される大切な方の安心のために作るものです。「まだ元気だから」と先送りにせず、ぜひ一度ご相談ください。
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執筆者
森下 太智(もりした たいち) 弁護士
1997年石川県七尾市生まれ。文部科学省での勤務を経た後、立命館大学法科大学院に進学し、在学中に司法試験に合格。弁護士として、相続法務、不動産法務等に注力。
